この文章は2018/9/28にリリースされたアルバム”GIVE WAY”のライナーノーツです。音源はこちらのリンクから、Apple MusicSpotifyといった各種配信サービスで聴くことができます。

Coverart

“GIVE WAY” (道を譲れ)というタイトルのこのアルバムは、ギターとピアノのデュオアルバムです。と言ってもギターは人間が演奏していますが、ピアノはCurtis Hawthorne ( github: cghawthorne , Twitter: @fjord41 ) と、Nikhil Thorat ( github: nsthorat , Twitter: @nsthorat )の両名によって制作された”PerformanceRNN (https://magenta.tensorflow.org/performance-rnn)”というAIによって演奏されています。このアルバムには8曲収録されていますが、そのうち7曲は「人間とAI」によって演奏され、1曲は「人間と人間」によって演奏されています。

なぜ、このようなアルバムを制作したか? というと、それは緩く二つの事柄が発端になっています。一つは中ザワヒデキ氏の「人工知能美学芸術宣言」 (https://www.aloalo.co.jp/nakazawa/2016/0501b_j.html)です。この冒頭で氏は、

「人間が人工知能を使って創る芸術のことではない。 人工知能が自ら行う美学と芸術のことである。」

と宣言していますが、これは言い換えれば「AIにしか認識出来ない美学はありうるか?」とも言えるでしょう。「人間とAIの」ではなく「AIのみ持ちうる美学」です。この事について僕自信は「思考実験としてはありうる。が、証明不可能性が高すぎて(人間がAIがやっていることをあとから観て「美学である」と言ってしまった時点でそれは「AIの」ではなくなることから)あまり良い思考実験だとは思っていない」という立場を取っています。また、この宣言はどこかAIの起しうることを他人の事のように捉えている感じがする、というのがこの宣言文に対する僕の率直な思いでもあります。

ただ「AIに美学があるとするならば」という考えかた自体を否定するものではないとも同時に考えました。

また、2018年3月に行われたIAMAS卒展でAIの研究者で長年の友人でもある徳井直生氏を招いて行なったトークイベントで、その時に彼と話をした「美学的には訓練によって凡庸なAIが生れてしまう可能性」「AIの起しうるバグを使うことでできる表現」という言葉を接続したことで、次の動機を定めこのアルバムは制作されています。

「AIに美学あるとするならば、それとどう付き合えるのか? それは体感できるのか?」

人間が「事後に」「他人事」のようにAIの美学を批評する、というのは先にも書いたように「人間による評価」になるのでAIの美学を評価したことになりません。なので、AIとの関係を自分事として捉える必要があると考えました。つまり、このアルバムはそのような動機から、AIと共に「なにかを同時に作ってみる」という行為の中にAIの美学やAIの存在を感じることが出来るのではないかと仮定し、「人あらざるヒト」であろうAIとの付き合い方を音楽を奏でるという方法を用いて考えてみる、という試みです。

音楽としてはこの文章を書くところまでが作品と位置付けています。ただしこの事はこの音楽の「アートとしての自律性の低さ」を指してしまうのと同時に、AI側に「移入しようとして」考えたときに (少くとも今の僕にとっては。そして”PerformanceRNN”という環境に限定された範囲では) AIの美学の自律性の低さの問題提起として機能しているように思えます。さらに、このような文章を書かないとならない理由は「音楽芸術のコンテキストの多様性に飲みこまれてしまう」ことと「人間の解釈する能力によって結果が良く感じたり悪く感じたりしてしまう」ということを避ける為でもあります。

しかしアルバムを通じてだだ一曲、人間と行なわれた演奏があります。このピアノ演奏者である森田理紗子さんは「このアルバムの意図」や「AIとの録音も聴くことなく」録音に望んでいます。そこで浮ぶ「AIとの演奏に比べてのこの明らかな違い」というのは誰にでもハッキリと聴き取ることが出来るのではないでしょうか?。この時に僕が率直に感じた安心感をどう説明していいのか、、、。もちろんこの事はどちらが良い、ということではまったくないと思っています。むしろ、AIと人間の間に違いとして横たわるこの感情を「埋めるべき差」なのか「残すべき差」なのか、ということを引き続き考えていくことこそ、AIと人間の関係性を「美学」の上でどう捉えていくかについて考えていく一つの視点になる、と考えます。

さて、一つ音楽的な話を付け加えるとこのアルバムは音楽的には似ても似つかない2つのアルバムを標的にして作成したとも考えています。二つとも名盤なんで気が引けるんですが一つはBill EvansとJim Hallの”Undercurrent”で、もう一つはFrank Zappaの”Jazz from Hell”です。

”Undercurrent”はジャズギターとジャズピアノの巨匠2人によるデュオアルバムです。ここでは2人の対話とも言える演奏を聴くことができます。

“Jazz from Hell”は徹底的なコンピューターによる所謂打ち込みで難曲が再現されるというコンピューターの有りようであり、それと対比するかのように(そしてファンサービスのように)一曲だけ置かれているライブ演奏でのギターソロを聴くことができます。

もちろん今回のアルバムが両アルバムにならぶ、なんて言う気もありません。本当はブラフでも言うべきなんでしょうけど、きっと同じような仕組みで僕より良い音楽を作る人が今後たくさん出てくるでしょうし、そうあって欲しい。ただ、たった今、この瞬間僕にとってこのアルバムは先の二つのアルバムを使って、次のように音楽的な内容で言いかえることができます。

Undercurrentのコンセプトを、
Jazz From Hellのコンテキストで、
今現代に、
ギタリストが演るとしたら、
誰を相棒に選び、
なにを作るのか?

このアルバムは、元々味付け的にはアンビエントアルバムを作る予定で始めたので、その様に聴いて頂いてもいいと思います。ただ、このようなトライアルを行ったことで、過去の「人間対人間」「人間対コンピューター」という関係の中にもある「ヒトの恣意性」と言ったものをAIとの間に於いても考えることが出来る、そんな音楽になったと僕は感じています。

そしてそれが他の誰かにとってもそうであれば嬉しいです。

Hiroshi Yamato / dropcontrol

TRACKS:

  1. talk with AI #1
  2. talk with AI #2
  3. talk with AI #3
  4. talk with AI #4
  5. talk with AI #5
  6. talk with AI #6
  7. talk with human
  8. talk with AI #7

CREDIT:

PerformanceRNN made by Curtis Hawthorn, Nikhil Thorat on Piano (Track1-6, 8) Risako Morita on Piano (Track7) Kota Tsumagari: Mixing, Mastering Enginner.

Hiroshi Yamato on Electric Guitar (All Ambient track made by Guitar with effecters. No Overdubbing and No Synthesizer), Director and Producer.